違和感だらけの自民党「失言防止マニュアル」

存在自体に違和感

「失言防止マニュアル」(自民党作)なるものをネットで見つけました。第一印象としては、その存在自体に激しい違和感を覚えました。このマニュアルは、最大与党自民党の国会議員のためのものですが、そもそも、議会というのは「言論の府」と呼ばれるように、ほぼ言論のみを使って国民の最大福祉のために丁々発止のやりとりをする場なのだから、議員はいわば言論のプロでなければなりません。そんな彼らに対して「失言」しないように注意を促すマニュアルが必要だという状況自体、理解に苦しみますし、情けないと思います。国会議員先生方はこれを恥ずかしいとは思わないのでしょうか。マニュアルの下のほうに小さく「配布厳禁・内部資料」などと書かれてはいますが、半ば公然と党が作成していることからすれば、あまり恥ずかしいと思っているようには見えません。というか、もう「恥」などと言ってはいられないくらい自体は深刻だということなのでしょうか。

内容を見るとさらに違和感や疑問の連続です。具体的に説明します。

 

「誤解」とは?

このマニュアルは、まず冒頭に大きな文字で「失言や誤解を防ぐには」と書かれています。「失言」はまだしも「誤解」とはどういうことでしょうか。発言が「誤解」される状況とは、一般的には、発言者の舌足らずな言い方やあいまいな言葉などによって、本来言おうとした意味とは違う意味に世間や記者が受け取った、という状況を指すと思います。したがって、「誤解」の場合の謝罪や訂正の焦点は、発言者の表現力の未熟さ、知識不足などに集まることとなり、もとの考え方自体は間違っていない、という方向になるのが常ですが、これまでの失言騒動を見ていて、本来の意味での「誤解」があったでしょうか。いちいち実例まではあげませんが、筆者には、単に失言した人が弁明の中で勝手に「誤解」という言葉を使っていただけのように思えてなりません。もっとはっきり言えば、実際には「誤解」はなかったと思います。にもかかわらず、その「誤解」を強調するこのマニュアルとはいったい何なのでしょう。ここにも大きな違和感があります。

 

目の前の記者は国民そのもの

次は「報道内容を決めるのは目の前の記者ではない」という見出しについて。この項の説明文を読むと、「実際の報道内容は現場記者とは別の担当が編集する」といった中学生でも知っている事実を述べ、「目の前の記者を邪険に扱うな」だの「親しい記者だからといって説明を端折ったり、荒い言葉を使うな」だの、低レベルの注意が並んでいます。筆者は、見出しに「目の前の記者」という言葉を見つけたとき、てっきり、ここでのアドバイスとして、「会見やインタビューのとき目の前にいる記者の背景には、有権者や国民がいることを十分意識して、丁寧な説明や適切な表現・言葉遣いを心がけましょう」という趣旨が書いてあるだろうと予測したのですが、そうではありませんでした。このマニュアルを作った人には、残念ながら、失言者と同じように目の前の記者しか見えておらず、その後ろに多くの国民が控えていることなど想像だにしていないことが明白でした。これには違和感を通り越して「失望」しました。なぜなら、これを作ったのが、もっとも多く国会議員を抱えて政権まで手中にしている最大最強の政党なのですから。

 

自らの政治信条を自由に語れない政治家?

次の見出しは「タイトルに使われやすい強めのワードに注意」というものですが、これに続いて「次の5つのパターンは表現が強くなりやすいので気をつけろ」という趣旨が書かれ、その5つとして「①歴史認識・政治信条の個人的見解②ジェンダー・LGBTについての個人的見解③事故や災害への配慮に欠ける発言④病気や老いに関する発言⑤身内と話すような雑談口調に注意」があげられています。まず、筆者には「強めのワード」と5つのパターンの関係がいまひとつわかりませんでした。ここは「強め云々」ではなく、要するに「社会的弱者やマイノリティーへの配慮を忘れずに」「身内的な会合では気が緩むから気をつけろ」と言えば済む話だと思いましたし、国会議員をやっている人に向かって、こんな社会常識的なことをここまで細かく例示して注意しなければならないのか、と唖然としました。そもそも、ここに掲げてある、歴史認識・政治信条や、社会的弱者やマイノリティーへの言説というものは、国会において、最も頻繁にそして丁寧に扱うべき、あるいは扱うことの多い重要なテーマのひとつではないでしょうか。歴史認識・政治信条に至っては、政治家・国会議員として最も基本となるものです。それを発言するときに気をつけなさい、と「今さら」注意喚起しなければならないとは、なんということでしょうか。我々国民の代表である国会議員は、今、そんなことになっているのか、と、またもや唖然とせざるを得ないのです。

 

「句点に意識」は評価するが

さらに、本当にご丁寧なことに、「リスクを軽減する3つの対策」という見出しが続きます。ここでの3つのうちの2つは、ひとつ前の見出しで取り上げた「身内会合で油断するな」と「弱者へ配慮しろ」という注意の繰り返しですが、もうひとつは「句点(。)を意識して短文を重ねるべし」というユニークなものです。これはこのマニュアルの中で唯一、筆者は評価したいと思います。というのは「句点(。)を意識しろ」という言い方は、わかりやすく工夫されているし、句点を意識することによって、コメントが歯切れのよい短い文章になれば、聞く側(記者・国民)にとっても理解しやすいからです。ただ、マニュアルの説明文には、国民にわかりやすく話すためという発想は(おそらく)皆無で、「ダラダラ喋りは切り取りのリスクが増し、失言や誤解が生まれるもとになる」と書いてあるのみというところが残念です(まあ、このマニュアルの目的からすればその説明もわからなくはないのですが)。

 

切り取る報道も考えもの

実はこのマニュアルの冒頭部分には、「発言は切り取られることを意識する」と書かれています。確かに、報道によっては発言を「切り取り」することで、「不適切さ」を発言全体のトーンよりも強調するようなものもあるので、このことについて注意喚起を促すこと自体は、理解できなくもありません。また、この項の最後にある「わかっているつもりでも、意外と忘れているこのポイント。あらためて意識しましょう。」というコメントを見ると、ちょっとだけですが「国会議員もたいへんだな」と思います。このような、悪意を感じるレベルの「切り取り」については、報道のほうも控えてほしいように思います。

 

もっと全体のレベルを上げよう、自民党も我々も

しかしながら、やはりこんなマニュアルが必要な国会議員ってどうなんだろう、と、筆者の気持ちは最初の疑問・違和感に戻ってきます。確かにこんなものを作りたくなるほど、失言問題が次々と起こっているので、自民党本部が対策をとる必要はあります。問題はその内容です。党本部が議員諸氏に対してとるべき対策は、このような対処療法的なマニュアルを作ることではなく、国会議員たるものは、常に国民の代弁者・代表者としての役割を自覚し、その資質の向上と保持、さらにはその活動の基本として「言論」のプロたることとそのための研鑽に励むことなど、当たり前であり最も重要でもあることを常日頃から指導する以外にないように思います。こんなマニュアルを作るという発想を党本部が持っているうちは、今後もポロポロと「失言」が現出するように思えてなりません。また、そもそも「失言」を心配しなければならないような人物を選挙で公認しない(ましてや閣僚や党役員にするなどはもってのほか)といった、公政党として当然の眼力を備えることが最も肝要なことだと思いますし、ひいては、その責務は(選挙を通じて)我々国民に帰着するものでもあると、改めて気づかされました。これが、このマニュアルの唯一の利点だったかもしれません。